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参加チーム・ペナント



    日本サッカー・リーグ(JSL)
’67 JSLプログラム
’67 JSLプログラム
'69 JSLプログラム
'69 JSLプログラム
'69JSL東西対抗プログラム
'69JSL東西対抗プログラム

 日本サッカーリーグ(JSL)には本当にお世話になった。私が見に行くようになったのは開幕2年目の1966年から、そしてJリーグがスタートするまで何百試合観戦したことか。プログラムは‘67年と’69年のものでA5サイズ、本文はモノクロ。最後のほうの長谷川健太選手が表紙のものなどと比べると隔世の感があります。ラモス選手の表紙は最後の27回日本リーグのもの。またチケットは50円だが、これは学生料金かな、それにしても物価の変動を感じさせる。特に'83年以降は、仕事の関係でしばらく観戦できなかった鬱憤を晴らすように観戦しまくったが、最後は確か1,000円か1,100円、私は700円の共通前売り券を銀座三越の地下鉄から上がった所にあったプレイガイドでいつも購入していた。
 さて記憶に残る最初のゲームといえば、確か'66年の終盤であったと思うが、古河電工と東洋工業の駒沢で行われた大一番。東洋の独走を阻止しようと、古河は長沼(元JFA会長)、平木(元グランパス監督)、川渕(現JFAキャプテン)といった大御所まで担ぎ出して、引き分けに持ち込んだ。川渕さんのプレーを見たことのある方はあまりいらっしゃらないでしょう。
第2回日本リーグ 1966年秋 駒沢
 古河 0(0−0,0−0)0 東洋工業

89-90JSL YEAR BOOK
89-90
JSL YEAR BOOK
JSL最後のYEAR BOOK'91-92
JSL最後のYEAR BOOK
'91-92
'67 チケット(50円)
'67 チケット(50円)
’68 チケット
’68 チケット
4連覇!無敵を誇った東洋工業
4連覇!
無敵を誇った東洋工業









東洋工業(サンフレッチエの前身)と懐かしのチーム
東洋のライバルだった八幡製鉄
東洋のライバルだった
八幡製鉄
弱かった豊田自動織機(以上’67プログラムより)
弱かった豊田自動織機
(以上’67プログラムより)
懐かしの名古屋相互銀行(メイソウギンと呼んでいた)'69プログラムより
懐かしの名古屋相互銀行
(メイソウギンと呼んでいた)
'69プログラムより
日産サイン入りボール
日産サイン入りボール
本田クッション
本田クッション
古河ペナント
古河ペナント


JSLグッズ

 ボールは日産自動車の柱谷幸一選手と池田司信選手のサイン入り公式球、試合前にスタンドのファンに蹴り込んでくれたのだが、2球とも偶然に懐に飛び込んできたもので争奪戦に参加したわけではありません。いかに観客が少なかったかということ。80年代前半の読売クラブと日産自動車の台頭は、一時は日本サッカーに絶望していた私の目を再び日本のサッカーに向けさせてくれた。
 丸いクッションは本田技研のもの(本田のファンではありませんでしたが)でサッカーマガジンの懸賞に応募して当たったもの。本田のファンではないが、一番当たりそうだったというだけ。当時の本田はメシアス、北澤、本田、黒崎とそろって対戦チームにとっては厄介な相手であった。
 ペナントは古河のもので、ゼブラが当時のマスコットであつた。奥寺が帰国する前年、85年の覇者・古河は憎らしいほど強かった。そして翌シーズンは天皇杯を辞退して臨んだアジア・クラブ選手権でサウジのチームを下し頂点にたった。国内のスケジュールを犠牲にしないと、なかなかアジアの頂点に立つのは難しいということが、この時点で証明されていたと思うが、最近は全く考慮されていないのが不思議でならない。